ラーメン屋とデフレからの脱却

 昔頻繁に行っていたラーメン屋に数年ぶりに行ってみた。代替わりしてから行っていなかったが、ついでがあったので懐かしさにかられ立ち寄った。昔いた小汚いオーナー夫婦はいない。店全体がどことなく綺麗になって、若いスタッフが揃いのTシャツを着ている。何となく嫌な予感がした。
 850円だった担々麺が1300円になっていた。値上げの世の中だから仕方がないが、それにしてもちょっと極端じゃないのか。大ぶりだったラーメン丼がいやに小ぢんまりしていた。ゴロゴロ入っている肉の塊が名物だったが、それらしき物はほとんど入っていない。予感は当たってしまった。スープは何となく前オーナーのものに近いが、私は釈然としない。急いで麺を啜り、そそくさと店を出た。私の愛していたラーメン店はそこにもう無い。
 最近は気軽に飲食店に入れなくなった。値上げが凄まじく、安めだった食堂にも足が止まってしまう。円安トレンドは収まったかのようだが、実質賃金指数の減少は止まらない。2020年を100として、2001年は113だった。2025年は96だ。この25年で17ポイントも落としている。簡単に言えば、国民全体が二割近くも収入を落としているのだ。道理で私の日々の暮らしが苦しいわけだ。
 選挙に関連して全国各地で調査を行うが、住民の求める政策は圧倒的に物価対策が多い。「ここは東京でも高所得が極めて多いので、景気対策は刺さらないです」と言っていた地域すら、それは変わらない。国家的に中長期的な視点から必要なのは、海外からの投資拡大だろう。短期的な財政出動なんぞ、もうほとんど役に立たない。ここに政治は無力なのだろうか。
 つい十年数年前はデフレからの脱却が合言葉のように連呼されていた。確かに脱却はしたかもしれないが、何てことはない。ただ物価がバカ高くなっただけだった。こうなってしまうと「デフレ、結構じゃないか」とつい思ってしまう。
 円高になると実質賃金は高くなり、円安では逆になる。今でも覚えているが、民主党政権時代に1ドル80円代というのが続いた。株価が高くなったと自民党政権は自慢するが、暮らしやすさは民主党政権だった頃のほうが勝っていたのか?

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