山上被告は可哀想?

 安倍総理を銃撃した山上被告の報道がここ一週間くらいてんこ盛りだ。裁判に伴っての報道の中心は家庭環境、統一教会、献金問題などが中心だ。どの局も取ってつけたように枕詞に「だから許されるというわけではありませんが‥」が付け加えられるが、話題の中心のほとんどが山上被告は可哀想な立場にあった、という事である。
 彼にとって安倍総理はどう考えても直接的な敵ではないはずだ。本丸は統一教会に違いないだろう。どうして教会本部の教祖だとか事業部長だとか、普及リーダーとかを狙わなかったのだろう。かなりズレているように思えて仕方がない。それを掘り下げている報道はほんの僅かである。しかも納得できるような回答に近きものは皆無だ。
 言いたいのは銃撃事件そのものではなく、最近のマスコミは一つの事件に関して、何故切り口がほとんど同じなのか、という疑問点だ。私なら徹底して「どうして安倍総理なのか」を追求する。家庭環境が可哀想なんてのはどうせ報道の中心となるのだろうから、他のニーズにも応えるようにちょっと違った視点からの分析報道をしたいと思う。
 選挙報道にしても同様だ。勝った人、負けた人の報道は当たり前として、その周辺に何があったのか。バカの一つ覚えみたいにどの報道も支持の中心層や選挙戦の流れ、そしてSNSの使い方と有効性などを報じているが、そんなものは選挙戦のごく一部だ。
 選挙は人だ。候補者も陣営リーダーも、賛成者も反対者も人だ。十年前と比べて人の報じ方がかなり減ったように思う。調査からの属性分析だけではなく、表や裏側にどんな人たちがいて、何を考えたか、どう動いたか、それが選挙の醍醐味なのである。
 それにしてもフジテレビのサンシャインに出てくる人が山上被告の犯罪を「私としては、これはテロかどうか、まだ疑問に思っている」なんて言っているが大丈夫か?家庭環境が可哀想で、そこが理由なのだからテロと断じられないとでも言いたいのだろうか。テロか否かはどんな環境下にあったのか、ではない。やった事が全てである。政治家の超トップを自分の思想で銃撃したのだから、これはどう考えてもテロだ。
 そろそろオールドメディア世代からも見放されるぞ。

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